メシヤ講座no. 158大阪(平成26年3月)

<今月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 人形医学」(文創  昭和二十七年)
本文は『文明の創造』251ページに記載されています。

 

【メシヤ講座 大阪支部】

各種病気と真因

楳木代表

本日拝読していただいた『人形医学』という御論文の後ろから4行目

『此一事だけにみても、現代医学は如何に根本に未知であるかが判るであろう。此意味に於て、今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往ったり来たりしてゐたに過ぎないのである。』

とメシヤ様は現代医学について御指摘されておられますけれども、それが現代までずっと続いた状態にあります。ですから現代も病気というのが一向に減らないで、それぞれ専門の研究が増える度に、病気の種類が増えていっているというのが現状であろうかと思いますので、人類は本当にまだまだ救われていないところか非常に多いということを思わせられます。

次に最初に戻っていきますけれども、『人間をして人形扱ひにしてゐる事である。』というところからは最大の内容であろうかと思います。

そして252ページ前から6行目にメシヤ様が嘆いておられるのは、

『此様になった原因は、全く本当に治るものがなかったからで、若し真に治る療法があったとしたら、それ一つで解決がついてゐる筈である。』

ということです。ですからメシヤ様はそういった人類が抱えている問題を解決するために、この浄霊法によって救済活動をされようとされたということでありますので、この浄霊こそ唯一の解決法であるということであります。そうしたことをまず心においていただきたいと思います。

そうしてメシヤ様が254ページから順次実例を挙げて書いて下さっております。

例えば歯の痛みの主原因は実は盲腸の消毒薬であったというように、私たちが学びを積み重ねる中でこうした関連がだんだん分かっていきますので、その関連が分からない間は絶えず支部に相談して、そして「こうした症状はどの所が原因として推測できるでしょうか?」と尋ねて、すぐに解決ができない時には「ココに問題があるんではないか?」と絶えず尋ねて、そして早い段階で結果が出るように連絡を取り合って進めていただきたいと思います。

それから次にですね、結核患者ですけど咳と痰が止まらない場合、頭首肩を浄霊しても治まらないので足の付け根、股を触ったところグリグリに原因があったということですので、こうしていくつもの原因があるということですので、絶えず全身を見ながら、“ここから来ているのではないか?”と浄霊をしていく必要があろうかと思います。

それから胆石ですが、これは以前にも勉強しましたが、右背面腎臓を見ると大きな固結があると。それをメシヤ様の場合は数回浄霊したところ良くなったということですから、胆石という時には必ず右の背面腎臓部辺りをよく浄霊していけば結果が早いというふうに頭にいれておいていただきたいと思います。

それから脱肛や痔核、この場合にも股にグリグリが必ずあるということと、それから元々痔などは頭部の毒血が溶解下降するためであるので、頭部の浄霊を必ずする必要があるということです。こうしたことは繰り返し拝読をして頭の中に入れておいて下さい。日本人は割と痔が多いので痔の人を浄霊する場合には、“ここをよく浄霊すればいいんだなぁ”と、そういうふうに頭に入れておいていただきたいと思います。

それから頭痛、頭重や精神集中力が乏しいということがあります。そうすると例えば自分の子供が集中力があまり続かないという時には、浄霊する場所はこういう所なんだということです。自分自身を見つめていただいてもですね、集中力が続かない時にはこうした所(左右何れかの頸部淋巴腺又は延髄部)に必ずグリグリや発熱があるということですので、仕事の作業を進める上においても、家事がはかどらないという上にも、そうしたところに原因があるということをよく認識しながら、日々浄霊を心掛けていただきたいと思います。

それから『眼の悪い人は、延髄部を主に頸部から肩にかけて固結があり、又前頭部に必ず発熱がある。そこを浄霊すると軽い眼ならそれで治る。』ということです。それから眼の症状で悩んでいる方は手術をしたかどうかというのが一つの分かれ目になってきますので、手術してない人であれば、メシヤ様は必ず治っていくと仰っていますので、こういうことも心に留めておいていただきたいと思います。それから近眼及び乱視なども延髄部の固結を溶かせば百発百中であるということですね。

それから盲腸がありますけれど、盲腸は右側腎臓部に必ず固結があるので、そこを浄霊すればよいということです。それから胃や腸、胃が非常に痛むとか、そういう場合には、どうしても私たちはその痛いところを浄霊しがちなんですけども、メシヤ様はここでは背面部をよく浄霊しなさいということですので、浄霊を取り次ぐ場合にはそうしたことも念頭においていただきたいと思います。

それから瘭疽というのが出ておりますけれども、これは私が以前にもお話しましたように、右手親指がこのようにちょっと短いんです。これは瘭疽で骨と爪が一部取れてしまったためにこのように短いんですが、この時にだいたいこれぐらい親指が腫れ上がりましたけども、最後の時にはこの表面、ちょうど先が薄い皮がパンパンに腫れて血膿が出始めてきました。洗面器を置いて浄霊してたんですけど、ここを浄霊してても大して血膿が出ないんですが、ここにも書かれている通りに、『頸部をみると必ず固結があるから、そこを浄霊すると実によく治る。』というふうに書いてありますので、ここの所を浄霊すると血膿がどくっどくっと出ました。ですから高校3年生の時なんですけど、この自分の体を通して、メシヤ様の書かれていることは間違いないというふうに確信が持てたのがこの瘭疽の浄化でした。ここがこんなに腫れているので一生懸命親指ばっかり浄霊してたんだけども全然膿が出ないんですけども、この頸筋を浄霊すると洗面器半分以上の血膿が出てですね、それからここが元のようになりました。

ただ、その当時の布教所長が後の処置の仕方を知らなかったために、包帯でグルグルに巻いて1ヶ月以上置いたために指が変形してしまいました。後々こういうことの詳しい元支部長に聞いたところ、「これは包帯など巻かないで、絶えず清潔にして洗っては浄霊し、洗っては浄霊しておけばいいんだ」と。それを包帯してしまったために、親指が変形してしまいました。これはやはり指導者の経験不足や、知識不足というのが人々に大きな影響を与えるということを、その時に同時に感じたことでありました。

そういうことがありましたので、今回メシヤ様が8項目挙げて事例を示して下さいましたので、そのことはよくよく頭に入れておいていただきたいと思います。

それから先月拝読を致しました『薬毒の種々相』もですね、私たちが浄化として病気症状的なことが出て来る時に、必ずこの薬毒との関係がありますので、この『薬毒の種々相』というのもしっかり頭に入れておいていただきたいと思います。

 

根本経綸

楳木代表

そして「メシヤ講座・特選集」の立春祭の挨拶の一番最後に付け足しで書いている内容の中に、この先月の250ページ一番最後に

『私は何よりも先づ薬毒の恐るべき事を、専門家に自覚させたいので、之だけでも人類に与へる福祉は、蓋し計り知れないものがあらう。』

というふうに書かれております。この福祉という言葉をメシヤ様は薬毒の恐ろしさを専門家にまず自覚させて、それをみんなに普及するということが福祉なんだというふうに、ここで書かれております。しかし過去の世界救世(きゅうせい)教はこの福祉というのを取り違えてしまいまして、私も若い時、布教所長時代に随分街頭に立って交通遺児の募金活動をしたことがあります。駅の玄関入り口に信者さん方みんな並んでもらって、みんな募金箱を持ってですね、「交通遺児を救済するための募金をお願いします」というのを随分とやったことがあります。これは社会福祉活動として○○さんも一番先頭に立ってやったでしょ。

 

受講者

(苦笑)いや、積極的にしましたけれどもね。

 

楳木代表

だから福祉といった時に、どうしても既成概念で、そういう社会福祉活動をした時に「福祉」というふうな概念を持ってしまうんですけれども、メシヤ様が福祉と仰っているのは、「薬毒の恐ろしさを知らせること」が最大の福祉なんだということですので、こうしたことをMOAの人たちには目覚めていただきたいと思います。未だにやはり福祉活動ということで、いろんなことに取り組んでいますけれども、根本的な薬毒の恐ろしさを全く引っ込めてしまっているので、その点が大変な問題だと思います。それだからこそ、メシヤ様が『本筋の御神業』として進めようとされたことが頓挫してしまっている部分がありますので、こうしたことを覚醒していかなければいけないなぁ、と思います。

覚醒する上においてですね、たとえば薬剤師の立場から書いてくれている非常に分かりやすい「薬剤師は薬を飲まない」という本が出ています。廣済堂という出版社で、宇多川久美子さんという方が書いた本です。

 

幾多の医学誤謬の警鐘本

楳木代表

一番分かりやすいのは、ここに付箋を挟んでいるんですけど、高血圧は薬では治らないと。まぁ生活習慣病はみんな薬では治らないのですが、“どうしてこの人はそういうことに気付いたのかぁ”と思って後ろを見たら、デューク更家氏の弟子入りをしてたみたいで・・こうやって歩く人ね。結果的にあれで薬を使わない生活になったみたいでね、まぁちょっと面白い動機なんですけどもね。

本来血管が動きながら血液を全身に送っていくんですけど、しかし高血圧の場合は高齢になってくると血管が固くなるので、固くなると送る力が弱くなってくるので、逆に心臓の方から圧力を上げて、そして血液を全身に行き渡らせる、これが高血圧の症状なんですね。それなのに血圧降下剤を飲むと、例えば180とかあった血圧をいきなり130に下げてしまうと血液が全身に行き渡らなくなると。だからかえってダルさを感じたりして、今薬剤師に相談に来る人が非常に増えているということは、本来自分の体のために血圧を上げているにもかかわらず、その血圧を薬で下げてしまうので、新たな症状が出てくるというのが、高血圧の関連症状として起きてくるわけなのです。大変これは危険なことだということを薬剤師が説明しておりますので、こういう本を持って、高血圧の人にはこう開けて「ここを読んでみて」というふうにしていった方が、より分かりやすいんではないかなぁ、と思います。

それからもう一つはですね、今新聞なんかでも、食物酵素とかいうのがよく出てるでしょ?、「酵素をとりましょう」とか言ってね。それで酵素というのは、私たちの体の中に元々ある酵素と、それから食物で取らないといけない酵素があるんですけれども、薬を飲んでしまうと、薬というのは毒物なので、解毒作用をしないといけないので、この解毒作用する時に酵素が必要なわけですね。そうすると薬を飲むと、その薬を解毒するために酵素がその薬のところに集中していく、その集中していくために、他の所で働かないといけない酵素が不足してしまうということが起きるそうです。

ですから、私たちが薬を飲んだ時に眠くなるというのと、それから逆に夜なかなか眠れなくなったりすることがあります。この眠れない時に眠り酵素がなくなっているということですね。ですから薬の副作用ということが、この本を読むとより分かりやすくなります。

しかも副作用というのは、この薬が悪さをしているように私たちは概念的に捉えているんですけれども、実は薬が入ってくることによって、全身の酵素がその薬を解毒するために集中してくるので、よそで働く酵素が非常に少なくなってくるために全身的にダルさとか、それから夜眠れないとか、それからいつも不安になるとか、そういう症状が起きて来るんだということを分かりやすく説明してくれています。

それからもう一つは、その薬自体がだいたい石油が原料でできているので、プラスチックと同じものを飲んでいるようなものなので、薬をこうやって飲んでいる人を見ると“あ~プラスチックバリバリと食べているわ~”というぐらいに見ていった方がいいですよ、という説明もしてくれていますので参考にしていただきたいと思います。

これは800円プラス消費税ですので今月一杯は840円です、来月からはもうちょっと高くなりますので、参考にしていただきたいと思います。最初にそうしたことを説明させていただいて、いつものように質疑応答に入りたいと思いますので、よろしくお願いします。

 

時所位を得てこそ合理

受講者

以前の教団時代に家庭の問題で浄化している家に訪問しましたが、解決できないままで教団スタッフに聞いてもよく分からないことがありました。

メシヤ教に来て、代表先生に質問させていただきましたら、「祈りの栞に寄せて」にある通り、「本来の人間生活を取り戻す」ことで、そういうことも一つ一つ解決されていくんですよ、と教えていただきましたが、「すでに本来の人間生活を送られている人は、幸いですので、未だそうした生活をされていない人を教え導いて差し上げることが大切です。」と書いてあるんですけれども、先祖供養は分かるんですけど、さて具体的には?「本来の人間生活」とはどういうことなのかと、簡単に具体的に教えていただけると、これからありがたいなぁ、と思います。導いていく者が、ちょっとどうしたらいいか分からないので。

 

楳木代表

簡単に言うと、なかなか難しいね。というのは一番簡単なことを世界救世(きゅうせい)教時代に皆さん方が教えてもらってないことがあるんですね。もう一番単純で簡単なことがあるんですね。それはメシヤ様の御言葉の中に『神様というのは、筋が通れば愛ですが、筋が通らなければどうにもなりませんよ。』と仰っているんです。ここに全部照らしていけばいいんです。だから筋が通るか?神様というのは筋が通れば愛なわけで、しかし筋が通らなければ愛にならない、人間の立場から見るとね。ということは場合によっては非常に厳しいということになってくるわけです。

「筋が通っているかどうか」ということが、いつも我々の着眼点にしておかなければならない。

 

受講者

やっぱりこう見てて、すごく筋が通っていると、ものすごく御守護が何倍にもなってくるんだけど、筋が通っていない場合かな?と思う時には、メシヤ様は最低限のマイナスはされるなとずっと感じてきましたけれども。

 

楳木代表

だから家庭の問題は筋が通るか通らないか、理屈が通るか通らないかを見ていけばいいんです。例えばね、外で浄霊して御守護がどんどん出て来る、人がどんどん救われてくる。しかし、家はゴタゴタしている家庭があるでしょ。これは家では理屈が通ってない。家の中で筋が通ってないからなんです。よそでは、メシヤ様の代理として浄霊をするから御守護が多いわけです。家の中で筋が通った生活をしているかどうかということが、ここが問題なんです。

 

受講者

道を外れてないかということですか?

 

楳木代表

道ということではなくて、理屈が通っているかということ。例えば子供が「お母さん今日ね、こんなことがあったの。」というと「お母さんは忙しいから、御神業があるから忙しいのよ。」と言ってしまうと、自分の中では筋が通っているけど、子供の中にとっては筋が通ってない。“ぼくのことよりも、私のことよりも御神業の方が大事なの?”ということになってくるので、その子にとって筋が通るためには、瞬間にその子の目を見て、「どうしたの?」と聞いてやればいいわけ。これは何分もかからない、聞いてあげるだけ。「あっそう、それは大変だったね、でもお母さん、あなたのことが一番大事だし、一番守っているからね。」と言ってあげる。これは5分か10分で終わるわけです。ところが心に余裕がないと5分か10分で終わることを「今お母さん忙しいから待って。」と言ってしまう。そうするとその歪みが、ずっと成長した時に、心の中に大きな歪みがどんどん成長していって、そして子供としてはその歪みが膨らんで来ると、引きこもってしまうというところまで行ってしまう。

そういうことが起きて来るので、どうしても組織中心に御神業を進めていくと、家庭のことよりも教団のためにということで、みんなを動かしていくので、そういうことが起きて来るということです。浄霊をして人を救うということ、これは当然大切なことなんだけれども、家に帰れば母であり妻であり、その時所位に応じて最善を尽くしていかないとね。

例えば代表世話人なり、布教員というところの時所位については最善を尽くすけど、家庭の妻のところに最善を尽くしているか?夫が会社で疲れて帰ってきて、「今日会社で嫌なことがあったんだよ~」というと「あんた、家にそんなこと持ち込まないでよ!」と仮に言った場合に、その夫の救いはもうないわけです。家に帰って愚痴ってそして女房に聞いてもらって、そして酒でも飲んで寝ればスカッとするんだけれども、「家で仕事の話しないでよ!」とか言ってしまったら、そこで夫のストレスは中に入り込んでしまう。これが大きな病気を生んだりとか、よそに女を作ってしまったりとかいうことが起きて来るのでね。だから妻としての時所位で最善を尽くしてやっているか?ということが、そこに加わってくるし、子供ができたら、母親として最善を尽くしてやっているか?というのが、御神業と同じぐらい、最善を尽くしておかないといけないということですね。

昔私が若い時に、愛媛県で瀬戸内海側にずっと造船所があるんですね。造船所の専務が旦那で、奥さんが布教所長の人がいたんですが、その布教所長の奥さんが大変立派だったのは、旦那さんが帰ってくる時刻になると、布教所の留守番を頼んで、家に走って帰って食事を準備して、そして風呂を入れて、それで一緒に寝てあげて、寝息をたて始めたら、また着替えて布教所に行って信者さんの御世話をしているという布教所長がいたけど、そこは非常に大勢の人達を救うことができたので、やはり妻としての務めとか、様々な務めを精一杯果たしながら、御用をしている人がいたのでね、“素晴らしい人だなぁ”と思って、時々しか四国の会合で会うことができなかったんだけど、まあそういう話を聞かせていただいたことがあるんです。どの時所位ということを考えた時には、我々にはいくつもの時所位というのがあるので、その一つ一つの時所位で最善を尽くすという取り組みをしていけば、そうすれば問題というのは起こりにくいし、問題があっても解決していくんではないかな、と思います。

 

受講者

はい、分かりました。そうですね。

 

天国的な本来の人間生活

受講者

それから「本来の人間生活」ということで、三内丸山遺跡の話とか出ていますように、例えば、年々歳々自然の恵みに感謝しとか、そういうようなことも整えていくことが大事ですね。「本来の人間生活」ということは、そういうことも知った上で、道理に合うことをしていくということかなと思いまして。

 

楳木代表

今度は、「本来の人間生活」というのを見た時に、いろいろ現代において考えていくと、例えば家庭での会話がないとかいう場合、“会話とは一体何か?”ということを突き詰めていった時に、“会話の原点は何か?”と言うと、これは挨拶になってくるんです。ですから家庭で挨拶ができてればいいわけです。そうすれば会話が成り立っているということです。

自分が一生懸命に炊事をしている時に、旦那が「おはよう」と言っても、「・・・」。これじゃあ本来の生活にはならないから、ちゃんと手を止めて、「おはようございます」というふうにね、そういう明るい挨拶をかえしていく。こういうことが会話ができているということになってくるので、“一つ一つ日常生活の中で起きている家族として当然やるべきことが果たしてできているか?”ということを、一回見つめて行くことが大事です。

それから今度は子供に大事な話をする時に、どうしても信仰者は御神前に連れて行って話をするよね、それか仏壇の前で話をする。しかし、大事な話をする時というのは、例えばきれいな夕日を見ながら、「今日も夕日がきれいだね」と、「人生というのはこういうきれいな生き方をしていかないといけないね」と。あるいは「こういうのが残るような人生を歩んでいかないといけないね」と、「ところであなた、この間こんなことがあったでしょ」というような話をしていくと、見方がね、ただただ説教ではなくて人生というのを見つめながら話をしていくことができるので、そういうことでこの「祈りの栞に寄せて」の中には朝日に思わず手を合わせたりするような、人間本来の美しいところというのをもう一度思い出してもらいたいということを書いてるわけです。

 

受講者

筋の通った生活をしていればいいということですね。

 

楳木代表

いいという言い方じゃなくて、それを心掛けることが大切だということです。

 

受講者

それも御神業であるという解釈をさせていただくということですか。

 

楳木代表

そう、御神業というより、信仰生活とはそういうものであると。

 

受講者

「すでに本来の人間生活を送られている人は、幸いですので、未だそうした生活をされていない人を教え導いて差し上げることが大切です。」と書かれてありますが、そこには神を祈るとか、先祖を敬うとかいうことは含まれているんでしょうか?

 

楳木代表

それは当然含まれるね。三内丸山遺跡を見れば当然含まれているでしょ?

 

受講者

そうですね。

 

楳木代表

およそ電気のない、電灯のない時代というのは、夜明けから人間の生活が始まって、日没で人間の社会活動というのは終わるわけなんで、この近くから言うと奈良の平城京へ行けば一番分かるでしょ?平城京に出仕した人たちは周辺に住んでいるでしょ?周辺に住んでいないと出仕できないのでね。歩いて2時間以内の人じゃないと、みんな車で行くわけじゃないから仕事できないからね。歩いて2時間というと、だいたい平城京から8キロ以内の人しかあそこには出仕できないです。しかも例えば8時から出仕時間というと、6時に家を出ないといけない。夏の場合はいいけど、冬の場合は6時に家出ると言っても暗いからできない。それは出仕できないので、時間をずらして出仕時間が9時とかになるわけです。そうすると家を7時に出ればいい。しかし7時に家を出ると言っても、ご飯を炊くのに明りがないといけないから、およそそれは無理なわけです。なかなかろうそくの火ではお米砥げるかどうかというと、難しい所があるね。

だから昔の生活というのは、夜明けとともにスタートして日没とともに終わるわけですね。だから太陽というのは生活の中で唯一の明りなのでね。だから思わず朝日には手を合わせるという感謝の生活が起きて来るんだ、と。そして自然に対する感謝の思いがあるという、これが敬神崇祖の敬神がそこから始まっているわけです。

 

当然あるべき「敬神崇祖」

楳木代表

そして生かされた者が死んでいった時に、30歳に満たないで死んだ人と30歳を過ぎて死んだ人とあって、30歳ぐらいになると様々な役割を担えるぐらいの人間になって、一応一人前として扱われる生活までいって亡くなったので、人間として幸せな部類になってくるわけです。しかしまだまだ一人前にならないで死んだ人たちは、30歳前で死んだらそうなるので、これを毘古(びこ)と比古(ひこ)に分けるというように、神道形式の呼び名を変えていったんです。それが産まれてすぐ亡くなっていった場合は、児(じ)と、児之神霊(じのみたま)とつけたり、それから稚女(わかつめ)とか比女(ひめ)とか途中の段階で亡くなった場合には、それまでしか人生を歩めなかった無念さを思ってそういう呼び名をつけて埋葬してあげた。

これがやはり日本人の場合、人類の歴史の原点にあるわけなので、「本来の人間性」というのは、この生まれてきた子供が、人生を味わうだけの年数を生きてきたか生きてこなかったかによって、埋葬方式が変わってくる。それはどこまでも、その生まれてきた人に対する想いというのが強いためにそういう呼び名まで変わってくるわけなんで、そうした想いを持つということ自体が、祖霊祭祀、先祖供養の原点にあるわけなんです。

そういうことが分かれば、当然仏壇を設えるとか、そういうことがしたくなるというのが「本来の人間生活」なんだということです。

だから今はメシヤ様のおかげで「主神様」という概念を持てることになり、『主神様直接の御啓示』ということを教えていただいたので、過去の歴史の中では人類がまだここまで文明が発展して来ない時には主神様という御存在というのは認識できない部分が日本人の場合はあったので、だからいろいろ役割を持った神様だけを認識することにしか術がなかったんだけれども、今は宇宙の構成とか、それから中心は太陽系の運行のあり方とかいうことがだいぶん分かってきたので、このようにキチンと運行されるものを御造りになられた御存在に対する感謝を持つことが人間としては最高の生き方だと、それが認識できるから主神様の御神体を申し込むということになってくるわけです。

最尊の磨きと最高の取組み

受講者

前のメシヤ講座に戻るんですけど、その他の神様を拝んでいる人にも、そういう筋の通った生活をしていればそれなりに幸せだから、それはそういう風な意味で、他の神様をお祈りしていても、それはそれで幸いなんでしょうか。

 

楳木代表

うん、それはそれで幸いな人です。そういう役割の神様をお祈りしているわけなんで、それぞれ役割のある神様を主宰神としての宗教があって、そこへ繋がったんだからそこへお参りしていれば、人間としてはそれは幸せなことであるんです。

しかし我々はメシヤ様から『主神様の御啓示』をいただいて、「この薬毒の恐ろしさを知らせることが福祉だ」というふうに教えられているので・・。その御神業に携わっているところまで到達しない御啓示の中で生活されている方は、その御啓示に沿って生活しててもそれなりの幸せはある。

だけど、喜びとは一体何かというと、さっきの正しい生き甲斐が持てるかというのが人生の中の最大の喜びでしょ?生き甲斐というのをどの辺に見出すか・・。

だから薬毒の恐ろしさを世の中に知らしめるということに生き甲斐を見出す、こんな素晴らしい生き甲斐というのはないですよ。その生き甲斐をMOAの人たちは捨ててしまっている・・捨ててしまっているわけではないだろうけど、どっか横へ置いて進んでいるわけなんで、“生き甲斐のない人生を歩んでいらっしゃるわ”という感じになるわけです。しかし私たちは『最高最貴の御存在』からいただいている『御啓示』に沿って、そのことに取り組むということが最高の生き甲斐になっているので、自分ほど幸せな人間はいないなと。「幸せですか?」と誰かコマーシャルとかで言ってる時に(笑)、「私は最高の生き甲斐を持って今生活させていただいています。」ということが答えられるような人生を歩んでいけばいいんではないかなぁ、と思います。

 

受講者

はい。分かりました。

 

増す浄霊力について

受講者

すみません、7番の『胃痙攣などの前方から浄霊しても痛みはとれないが背部をすれば全治するのである』ということですが、これは前と後ろと、何が違うのか?前から御浄霊しても痛みがとれないというのは?

 

楳木代表

背部に原因があるということです。

 

受講者

背部に原因がある・・、例えば自己浄霊する場合、前から背部に集中して御浄霊をさせていただくことと同じことではないでしょうか?

 

楳木代表

うん、メシヤ様が背部から浄霊をした方がいいと仰っているんだからね。

 

受講者

その理由は背部に原因があるからということですか。

 

楳木代表

『背部をすれば全治するのである』ということは、背部をした方が、背部に溜まっている毒素がとれるからね。だいたい胃が痛い時こうやって(前から)浄霊してもよくならんでしょ。

 

受講者

そうですね。

 

楳木代表

こうして(後ろから)浄霊しないと、だいたい胃の痛みはなかなかとれない。

 

受講者

確かに何回か経験があります。

 

楳木代表

腎臓が悪い時でも、前からしてもなかなか腎臓はよくならない。酒飲みすぎた時だって、やっぱり後ろから浄霊していった方がだいぶん胃腸も楽になるね。

 

支部長代理

・・まぁ、毒が腎臓から背部に行くというのは、人間寝ると、だいたい背中を下にするので背部に溜まりやすいということですね、起きると動くから前にもくると。

 

受講者

それは分かるんですけど、想念で、前から後ろに向かってさせていただくと・・。

 

楳木代表

光を後ろに通すという想念を持ったつもりでも、なかなか持てない、持てていない。というのは昨日もね、「浄霊力がもうちょっと強くなりたいんですけど、どうしたらいいでしょうか?」というから、「じゃあとっておきの浄霊力のつく方法を教えよう」ということで教えたんだけど、だいたい一人、○○さんが前にいるけど、○○さんという人が何代生まれ変わってきた魂か分からんけど、例えば仮に人類の歴史上最初から魂があったとすると、おおよそ2億人先祖がいるということになってくる、計算するとね。そうすると、○○さんを浄霊する時その霊線に繋がる2億人に光が届くような想念を持てるかということが実は大事なわけで、それが集中力ということになるんです。

そうすると、背面だということで浄霊してても、背面から光を届けて光を入れることができる、そういう想念力は自分があるかというと、なかなかない。どうしても後ろまで届かしても前側しか溶けてない。固結がこうあった場合、固結の前側しか浄霊できてない。こっち側を浄霊する想念というのはなかなか持てないので、そういう場合は後ろからしていった方が、断然簡単だということです。

それと寝てる時に下に溜まるということで、脊髄からこうやって神経が出ているので、神経を使うところに毒素というのは溜まりやすいので、この神経を使う周辺にものすごく溜まりやすいので、この毒素だけを浄霊するんではなくて、背面から神経まで浄霊した場合は光が十分行き渡るので、毒素の溜まりやすい体ではない状態になっていくことができるので、だから背面というのは後ろから浄霊した方が、前からじゃなかなか難しいところがあるんです。

 

受講者

たまには人から御浄霊をいただいくのも大事ですね。

 

楳木代表

浄化をいただいた時はね。浄化を許された時は、自分の中を光が通る時、自分の中も浄化しているわけだから、光自体がいつもの健康体の時に出る光にはならないから、だからそういう時には人にお願いをして、お願いするだけの御玉串を包んで、そして浄霊をいただくといいんです。こういう時には御玉串がついてくるんです。人に頼む時にはね。これだけ押さえといてね。

 

受講者

じゃあ家族に御浄霊する時には、家族に御玉串をいただくんですか。

 

楳木代表

(信仰心が無い)家族からとるというのは、それはちょっとおかしいやろ。

 

 

受講者

(笑)

 

楳木代表

信仰心の無い人から「玉串出しなさいよ」、あるいは収入の無い人に「玉串出しなさいよ」、ということはおかしいので、母である自分が具合の悪い時には、その子供の名前を書いてそして報告をして浄霊するとかいうふうに、そういうところは弾力的に頼んでいったらいいんではないかと思います。

「全部お金ですね」という話になるかもしれませんが、やはりメシヤ様に御願いするわけなので、とりわけ具合の悪い時にはとりわけ頼んで、メシヤ様から御力をいただいて浄霊をしてあげるということです。

 

支部長代理

・・背面のところで、御教えでは背中の毒を狙ってやればいいということでね。しかし今代表先生からお話があったようになかなかであると。強くするにはいろいろあるけども、仰ったように、出来るだけ大勢の人を救うという・・、世界人類を救おうと思って相手を見るということでね、そうすると光が非常に強くなるということです。

 

留意「祈願をしたあと」

受講者

・・質問が今の話とズレますが、昨日、私の父のちょうど一周忌だったんですね。実家の方で日曜日にお寺さんで親戚が集まって、御膳をお上げして、お経を唱えていただいたんですけども、昨日は、私は実家に行けなかったので、支部の方で御玉串をお上げして自分で御神前で済ませた後、木原さんに一周忌のお話をしましたら、「じゃあ、特別に先達をしてあげましょう」ということで、もう一回一緒に御神前で一周忌のお勤めをさせていただいたんですけども、その時に私一人だと父のことばかり考えてしまって参拝していたんですけども、一緒にしていただくと、・・あとから木原さんが仰って下さったのが、「お父さんが霊界で向上されるのと、また○○さん自身が向上して、一緒に向上して御役を許されていくように」ということでしたが、長く、お祈りして下さったんですね。

 

支部長代理

まぁ、目的は、地上天国建設に一緒に向上されて御使い許されるように・・。

 

受講者

“あ~そうだった”と思ってホッとして、実家の方のお仏壇にも行けなかったんですけれども、“それで良かったぁ~”と、“本当に有難いなぁ~”と安心したんですけれども・・・。

 

楳木代表

しかし、体調のいい時は、実家に行って一周忌のお参りをして来た方がいいね。

 

受講者

ちゃんとその日に行かないと行けないんですね・・。

 

楳木代表

その日に行けない時の話だから、行けない場合は、まぁ、前もって「行けないのでご挨拶に参りました」というふうに言って、

 

受講者

それは、(正しい一周忌の)日曜日には行きましたので、お参りさせていただきました。

 

楳木代表

なるほど。そういう時に今度は御神前でお参りするのは、お父さんの名前を書いて「一周忌 御守護願い」というのが本当は一番いいわけ。“一周忌経ったので、霊界で向上お許しいただけますように”とメシヤ様にお願いする。そういう御玉串を包むのが大事。

そして、今度、仏壇でお父さんにお参りする時には、何が大事かって言うと、“霊界での御修行に一層お励み下さい”というふうにお祈りをして、“その修行及び役割が果たして行けれるように私は徳を積みますので、今度は、お導き下さい”と。

 

受講者

父にですか?

 

楳木代表

うん。徳を積むのでお導き下さい。この時、お導きを頼む時にお父さんだけではなくて。だから、一周忌の時のお祈りの仕方って幾つもお祈りしないといけない。

まず、幽世大神様に“〇〇毘古之神霊が一周忌を迎えたので霊界でお救いいただけますように、向上許されますように御守護お願いします”と頼むでしょ?

次に先祖代々に頼まないといけない。先祖代々に“昨年亡くなった〇〇が一周忌を迎えましたので、霊界で向上が許さるように見守って下さい、お導き下さい”というふうに頼まないといけない。

その次に一周忌を迎えた人に挨拶をするわけ。それで、そういう今の話をして、それから“私は地上天国建設の御神業に臨ませていただいて、徳を積みますので、先祖の皆様方及びお父さんお導き下さい”と、そういうふうにお祈りをして、“そして霊界現界共々に繁栄を許されるようにお祈り申し上げます”と。

こうすると、一周忌のお祈りが完璧になってくる。そうすると今度は、お導き下さいと頼んだんで、周辺にお導きする内容がドンドン起きてくるので、それに向かってドンドン取り組んで行かないと、先祖に対して嘘をついたことになるので、だから良いお祈りは後が大変なの。(笑)

 

一同

(笑)

 

楳木代表

お祈りの通りやって行かないといけないの。だから、やった後が大事。どうしてもみんな準備などお金がかかったりするので一周忌に向かうために物凄く大変なんだけれども、終わった後はフッと忘れてしまう。

しかし、終わった後、実は、メシヤ教の信者は“お導き下さい”と頼んでいるわけなんで、お導きの材料がいっぱい出てくるから、それにドンドン取り組んで行かないといけない。間髪入れずにね。だから忙しい。そういう意味でメシヤ教の信者さんは忙しい訳、先祖がお導きの形をドンドン出してくるからそれに沿って絶えず反応していかないといけない。ボーっとしていると反応が次々流れていってしまって、“あー行っちゃった、また行っちゃった”って(笑)

 

一同

(笑)

 

楳木代表

メシヤ様も『前髪を掴むようなものだ』と仰ってるでしょ?そういうことが起きるのでね。だから、緊張して生活をしていかないと先祖のメッセージを幾つも飛ばしていってしまうことになるのでね。まぁ、一つよろしくお願いします。

 

支部長代理

“どうかなぁ”と思ったんですけども、もう御玉串した後でしたのでね。一応始める前に「御祈願」という形になるから御守護のお願いをさせていただくということでさせていただいたんですけどもね。

今、仏壇での参拝についてのお話いただいたのは、前回のメシヤ講座とかで結構、御先祖様に対する参拝の想念の在り方ということでですね、ずっと仰っていただいていますので、そのように是非ね。

 

楳木代表

一層、こういう話を聞いた時にね、それぞれのご家庭でも年忌を迎える時にはそういう想念で迎えていただきたいと思います。それでは、これで終わります。

ありがとうございました。

 

支部長代理

以上を持ちましてメシヤ教大阪支部3月度月次祭を終了させていただきます。ありがとうございました。

 

一同

ありがとうございました

 

<来月の御教え>

「『文明の創造』科学篇 疑健康と真健康」(文創  昭和二十七年)

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